もくじ
あーしたい、こーしたい、あれが欲しい、これが欲しい、さらには旅行もしたい、
美味しいものだって食べたいと言う欲求は誰にでもあると思います。
また「世の中どーなってんのよ、俺にも一言言わせろよ。」と日々の中でふと思うこともあるでしょう。
即行動に移して成果として表すことが出来たとしたらストレスも溜まることなく生活できるのかもしれまん。
まあその様な人がどれ程いるのか知る由も無いわけですが。
私の場合なんかにしても、悲しいかな周りを見回しても誰もいませんし、
発言する機会を得たとしても、たいした知識がある訳でもないので
饒舌に語るなどという事もままならない。
思いついたことを実行に移そうにも手間もお金も時間もかかる。
納得のいく結果をえられるのか、なんて考えてしまうともうダメです。
それよりなによりもかったるい。
なんてネガティブな思考で無駄に時間だけが過ぎていく。
「無駄無駄無駄無駄無駄 無駄無駄無駄無駄無駄」な日常です。
もしくは実際に行動してみて、そのことにハマることも多々あります。
計画性が無いといえばそれまでなのですが、思いつきで始めたことに夢中になるも
ゴールが見えないという地獄。
途中で諦めつつ手放すも時間を経て突破口を見つけ(たという勘違いかもしれませんが)再び手をつけるもやはりまたもやゴールは見えない無限の地獄。
手をつけては手放し、また手をつける無限ループですよ。
そうこうするうちに物は増える、お金は減る、時は流れてゆく、
しかも腹も減ると。
でもね、興味を持ってしまうとなかなかやめられないんですよ。
貧乏性なんですよ、なんか病気なのかもしれません。
まずは「世の中は無駄の上に成り立っている」と考えて納得しようと思います。
欲求が芽生えたのならその欲求を満たしたいと思うのは人としての性。
しかしながら、それを抑える事ができるのもまた人間だという意見もあるでしょう。
どっちも間違いではないはずです。判断するのは自分だと思います。
たとえ傍から見て無駄なことであろうと過ごした時間が楽しかったりすれば
多少の出費も無駄ではないと思っています。
ただし、そう言い聞かせることでごまかしているのかもしれませんけど。
個人的には無駄の無い生活なんてものは無いとも考えています。
「世の中は無駄の上に成り立っている」と考えているので。
大雑把な言い方ですけど、無駄なことでもおもしろいことはあると思います。
結果、時間やお金を消費するだけのばかばかしいことなんだけれども
やっぱりおもしろい、そんな事もあるはずです。
それが無駄かどうかは人それぞれではないでしょうか。
you tubeの動画なんかいい例だと思います。
くだらないことを無駄な事と考えた場合、言っちゃあなんですがyou tubeには溢れていますよ。
でも捉え方は人それぞれです。その時々で考え方も変わる事もあると思います。
好みにもよると思いますが面白いものはやっぱり面白いし、
やってみたいと思っていたことを他人がやっているのを目にすることで
実際はこうなるのかという事がわかったり、もしくはこうすればどうなるのか、
そういった疑問も出てくるかもしれません。
そして自分でもやってみる、その結果、自分にとって無駄かどうか解ることもあるわけで、
たとえ無駄なことだったとしてももやもやは解消されるのではないでしょうか。
その結果、欲求は満たされるわけで。
しかしながら、そこには後悔も生まれるかもしれません。
後悔するという事は自分にとって無駄だったということになるのでしょうか。
結局無駄かどうかの判断は人それぞれですし、やればやったで後悔して、
やらなかったらそれを後悔することもあるし
その時の自分の都合と周りの都合によっても代わってくるのではないかと考えてもいます。
ちなみにビル・ゲイツが言っています、
「私は過去を後悔するような無駄な事はしない」と。
決断したのなら覚悟を決めろと、後悔することも(自分にとっては)無駄な行為ですよと。
なるほどなと思いました。グラつくなと、覚悟ですよ覚悟を決めて行動して行きたいものです。
と思いつつも後悔から生まれる反省もあるとのではと考えてもいます。
結局はくよくよ考えているよりも、じゃあどうするか次にどう繋げていくのか、そういったことが必要なのかと感じています。
時間を買う人は人生の満足度が高い
無駄な時間を省き有効な時間を増やすことでもっと幸せに過ごせる事ができる、
と言った意見をネット上で見かけます。
正しいと思います。間違ってはいないと思います。
その人にとっての無駄だと思うことには時間もお金も掛けない、そのうえで別のこと、
自分にとって有効だと思えることに時間とお金を使う、そういうことだと思います。
上記の事とはちょっと意味合いは違うかもしれませんが、
時間を買う人は人生の満足度が高いと言う調査結果があるようです。
代行サービスなどを利用することで日常生活の中の負担を減らす事が出来ると
時間の余裕も出来るので出来た時間を好きな事に使える、
要するに時間の余裕さらに精神的な余裕ができる事で幸福度も増すということなんでしょうか。
金銭的余裕の無い今の私には1ミリの関係もないことが悲しいと思う今日この頃です。
時間の余裕に反比例するように精神的な余裕が減っていく現実がわかっているはずなのにまるで他人事のように考えている・・そう、クズですよクズ。
まあ、やっかみを含めても、やはり人により無駄だと思うことは違うわけで、
その人の暮らす環境や属している環境においてもそれがどう判断されるか
ということになるのではないかと考えています。
その物事に対する考え方の違いで当然意見も分かれるし、
さらにその意見が多数派か少数派かということで判断されることもあると思います。
その時の状況により変化するのではないでしょうか。
自分基準イコール世間の基準ではないので、
そこをうまくすり合わせて行かないとお互いに成り立たないのだなと思いました。
無駄かどうかは自分の都合次第
欲求は満たしたいけど無駄なことはしたくないと言うわがままな考え方も
無駄かどうかの判断は結果次第で変わるのではないかと思います。
その時の自分の都合なのではないのかと。・・
ということで、無駄に関しては自己満足したいと思います。
後半へつづく